~京セラフィロソフィーからの抜粋~
最近、久しぶりに盛和塾に在籍していたときに頂いた
「京セラフィロソフィー」を再読しました。
そのなかでわたしの好きなフレーズを抜粋してみました。
ご興味のある方は、ぜひご一読ください。
なお、最近になってこの本が、一般販売されていることも知りました。
「小善は大悪に似たり」
人間関係の基本は、愛情をもって接することにあります。
しかし、それは盲目の愛であったり、溺愛であってはなりません。
上司と部下の関係でも、信念も無く部下に迎合する上司は、
一見愛情深いように見えますが、結果として部下をダメにしていきます。
「小善は大悪に似たり」と言われますが、表面的な愛情は相手を不幸にします。
逆に信念をもって厳しく指導する上司は、煙たいかもしれませんが、
長い目で見れば部下を大きく成長させることになります。これが大善です。
真の愛情とは、どうあることが相手にとって本当に良いのかを厳しく見極めることなのです。
例えば、自分の子供がかわいいばかりに溺愛し、甘やかし放題に育てたところ、
その子供が成長したあかつきにロクでもない人間に育ってしまった、ということがあります。
かわいいからと言って子供を溺愛するという小善をなしたことが、
結局当人にとって大悪をなしたことになったわけです。
つまり、小善を行うことは、大悪を行うことに等しいのだということを、
この「小善は大悪に似たり」は意味します。
一方、「大善は非情に似たり」、これは、大善を行うことは、
一見、薄情な行為に映るということを表しています。
「人間、若い時の苦労は買ってでもせよ」と言ったり、
「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とし、
そこから這い上がってきたものしか育てない」という例えもありますが、
周りから見ればむごいと思える行為も、
それはその人を大きく育てるために必要な愛のムチなのです。
まさに非情と思えるその行為こそが、大善なのです。
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~IBMの社是の説明~
ある北国の湖畔に、心優しい老人が住んでいました。
湖には毎年、雁の群れが飛んできて、冬を過ごします。
優しい老人はいつとはなしに、湖に集まる雁たちに餌を与えるようになりました。
雁は水辺に寄って来ては老人がくれる餌を喜んで食べていました。
来る年も来る年も老人は餌をやり続け、
雁もその老人からもらう餌を越冬の糧とするようになりました。
ある年もまた、雁の群れがその湖にやってきました。
いつものように餌をもらいに水辺に寄っていきますが、
老人はいつまでたっても現れません。
毎日、水辺に寄って行っては待ち続けるのですが、
やはり老人は現れません。
老人はすでに亡くなっていたのです。
その年、寒波が襲来し、湖が凍結してしまいました。
老人が現れるのをひたすら待ち続け、
自分たちで餌をとることを忘れてしまった雁たちは、
やがて皆餓死してしまったのです。
そして、IBMではこのような社員の育て方はしません。
と書かれているそうです。