「鶴の一声」
下々がいくら議論していようが、T会長がこうだ!といえばそうなりました。
店舗開発の渉外担当役員も、普段なら昭和のヤ〇ザでもなんでもお構いなしなのに、
T会長の前では直立不動でした。
そんなT会長の晩年、私を結構可愛がって頂きました。
でも、カバン持ちですけど・・・
T会長「おーい!、名古屋方面に視察行くからな!」
私の仕事は、
先ずは新幹線の切符の手配→名古屋駅に到着時に名古屋の社員によるお迎えの連絡
→T会長の行きつけの天婦羅屋の予約(この店に行くのが一番の楽しみでした)
→当時の巨大な携帯電話の充電。
もう、行く先々で心臓バクバクです。
しかしその後の私にとっては、良い勉強になりなりました。
T会長は多くを語らない方で、どちらかと言えば無口でギロット鋭い眼光の持ち主でした。
私達からすれば、まさに雲の上の方。
カバン持ちでも、当時20代の私は少し認められているような気がして、嬉しさでいっぱいでした。
ある日もT会長よりジキジキに金沢の法務局へ行って、
不動産の登記簿謄本をあげて来いとの指示。
何をさておいてもT会長の命なので、飛んでいきます。
当時はその地域地域の法務局へ出向いて謄本を申請してその場で持ち帰るか、
司法書士にお願いして郵送してもらうかしか手立てがなく、
郵便を何日も待つはずはなく、T会長が今知りたい情報と言われれば、
金沢でも和歌山でも地方法務局に飛んでいきました。
帰路、T会長から巨大携帯に電話が鳴る~
「どこや!!!」
私は手に汗握って、「まだ、北陸道です!」
「そうか、はよ帰ってこい!」ガチャ。
おかげで、覆面パトカーに止められる。(涙涙涙)
夢の中でもこわいT会長なので、あまり登場していただかない方がありがたいのですが、
今となっては、よい思い出です。もっと面白いエピソードもあるんですが、
ここには掲載できません!!!