2013年4月15日月曜日

最近の社長

「石に立つ矢」


中国の有名な古事。
強い意志で不可能も可能に。
大岩に矢が突き刺さっている情景が目に浮かびますよね・・
そんなこと、CGでもないかぎりありえません。
しかし、気持ち、気持ちなんです。
強い意志・燃える闘魂・強烈な願望や、誰にも負けない努力。
どれもこれも「気」なんです。
「できるんちゃうん!!!」と想うことです。
「月に立つ矢」でもいいのではないですか。

2013年4月8日月曜日

最近の社長

「あえない人」


「あいがたきは、道の明らかなる師にて御座候。」
中江藤樹の言葉。
ひとは一生の間様々な人との出会いがありますが、まことの「師」と値する人物に
あえるのは稀ということ・・・
人生80年間としても、そのうち20歳から70歳までの50年間が
もっとも闊達な期としてもたかだか50年。
そうそう無理ではないでしょうか?
友達、先輩や他社の社長・会長などといっても、
けっこう、仕事つながりの面も否めません。
「師事する」という言葉もよく聞きますが
それは単に「指示」してもらっているだけではないですか?
「本物」はどんなんなんでしょう?・・・お寺の偉い人?
理解できる時が来ることやら・・・

2013年4月1日月曜日

最近の社長

「国 債」


「国債のすべて」という分厚い本を買いました。
あまりに私にはむずかしいので、途中であきらめて本棚へ。
と、思ったのですが考え新たに理解可能な項目だけ読むことにしました。
するするっと、いうわけにはいきませんでしたが素直に考えると見えて来るモノあり。
なんでも投げたらダメですね。もったいないです。


しかし、国の借金は戦後爆発的に増えてるんですけど、
10年、20年後はどうなってるんでしょうか・・・
以前、随分お年を召した方とおしゃべりしてると、
「わしはな、戦時国債がゴミ箱にほかされていたんを見たことがある」と。
そのときは、いつの話や。そんなん関係ないやん。
そのように流していた私がバカでした。


素直に考えて日本が格下げされたら困ります。
しかし過去のスピードと実社会は異なるもの。
海外移住なんて出来ないので、みんなでなんとかならないのでしょうか・・・

2013年3月25日月曜日

最近の社長

「バブルの育ち方」


相場の有名な格言です。
「強気相場(バブル)は悲観の中で生まれ、懐疑の中で育ち、
楽観の中で成長し、幸福の中で消えていく。」
日経平均株価チャートを見ると昨年の10月に8,000円台だったので
そこが「悲観期」であり先日3月16日(土曜日)で13,000円に迫ろうとしていますので
2013年3月から4月は「懐疑期」ではないでしょうか。
その後に「楽観期」「幸福期」はおとずれるのでしょうか?
前回のミニバブル期と平成元年あたりのバブル期を見てきた金融・不動産の関係者が居ます。
わたしも見てきた者のひとりです。
わたしは前回のそれ、前々回のそれとは同じようには行かないと思います。
まずもってスピード感の違い、止まない人口減、外圧。
地球が一周するうちに何兆円も動く今の時代、¥$も€も£もあっという間に高くなってしまいました。
他人事では無ありません。
「自分は大丈夫、ついて行けてる。」と考えない方がよし。それこそ「懐疑的」で。
で、どうなん!?
「自分しかない」
「自分で決断」(だれも助けてくれません。他人事)
日々、勉強で大局をピュアな目で診ることだと思います。

2013年3月18日月曜日

最近の社長

「ソーライス」


阪急百貨店を昭和4年に開業。
創業者の小林一三は それはそれは10年先が見えた人物。
売り場面積もどんどん増やしていって、食堂も同様。
「ソーライス」というのはメニューにあったのではなくて、
本当の売れ筋は「カレーライス」。


そのカレーにかけてもらうために卓上のウスターソースが置いてあり、
ライスだけ注文してライスにソースだけをかけて食べてしまうんです。
店にとってははなはな迷惑千万。ある日、食堂側は
「ライスだけのご注文はご遠慮くださいませ!」と・・・
それを見た一三が
「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子供を産む。
その時ここで楽しく食事をしたことを思い出し、
家族を連れてまた来るだろう。」

その後、
「ライスだけのお客様歓迎します」に・・・張り紙を。
昭和5,6年とは極貧でなくても一般のひとでもこの
ソーライスに救われた方が多かったとのこと。

~世の中に対する貸勘定~
現場主義の一三の貸勘定話の一つです。
今の時代にはそぐわないカモしれません。
しかし、わたしも「貸勘定」を増やしていきたいと想います。
・・・・・・

2013年3月11日月曜日

最近の社長

「タイ・バンコク」4


昼食でみなさまとレストランへ。
たまたま、奈良でバネを造っておられるT社長と再開。
スキンヘッドで色黒です。まえに頂いた名刺には奈良の住所しか載ってなかったので、まさかタイに工場があるとは存じ上げてなかったので大変驚きました。しかもラフなポロシャツ姿でしたので解りません。私たちはみなネクタイ。
なんでも、10年前にタイに工場をつくって、日本の企業が日本品質の部品(タイ・中国製は良くないので)を探しているときにT社長の製品を買ってくれて、相手が上場企業なのに急いでたから与信も会社登録もなしに取引開始。その後、他の大手とも・・・とのこと。

12月から3月くらいは日本は寒いのでこっちによく居るんやで・・と。(羨ましい・・)
バンコクでは日本人のパスポートは60万円で売れるから気を付けてな。
そういえば、ガイドさんも同じこと言ってました。(みなさんも気を付けてください。)
ああああ、海に行きたい。ここまで来てんのに・・・有名リゾート地がわんさかあるのになぁ・・
しょがないですよね・・・


帰りの空港。

「お~ぃ、おい、おい。」

私を呼ぶ声が。

「しゃ、しゃ、社長。」(私が勤めてた当時の会社のTT社長。)
「なにしてんねん?」
「研修旅行ですよ。」
「お。そうか! 俺はゴルフによく来るんやで! ほら、ここに居るみんなで。」
「あ、そうですか。僕もせめて京都でご飯食べに連れてってくださいよ。」
「お、いこいこ、またな・・!」

だいたい、「またな」というと、何年か経ってからですよね!!! (もおぉ)

2013年3月4日月曜日

最近の社長

「タイ・バンコク」3


 朝ご飯は、毎日ホテルのバイキング。
肥えに肥えてしまいました。(3㎏)

6:30ごろ朝食をとりに行くと、その広いレストランは60歳ほどの日本人がいっぱいです。
聴けば、社員数10人,20人ほどの会社の社長さんが多いとのこと。
何業に限らず活路を海外に見出そうとする中小企業がたくさんあります。息子さんに日本を預けて父である社長・会長が自ら海外へ赴くパターンが多いとのこと。大変です。
余談になりますが東京の帝○ホテルの朝はおじいさん、おばあさんばかりで、まるでそういう施設?と思うほどでしたが・・・・(東京観光の)

 その日はおむつのパ○パースを造っておられる工場へ・・・
おかまのタイ人も作業員で居ました。(パッと見わかりませんが。美しい。)
昨年 日本では売り上げが、大人用が子供用を追い抜いてしまいました!!!

 その工場視察では日本からの出向者の方に説明をいろいろ頂くのですが、その後方を50代と思われる、きりっとした女性が遠目に追いかけて来ます。目もスルドイので日本人ですか?と出向者の方に聞くと、
「いえいえ、タイ人女性で学校の先生・旧松(パナ)などを経験されここへ来られて、この工場をほとんど任せています。日本語はダメですけどね。」とのこと。確かに他の従業員がすごく頼ってる感。
工場でも女性が活躍してんのか! (うちと同じやなぁ・・・・・)
日本人男性!
東南アジアの人にも、女性にも負けてていいのか!!!