2013年5月27日月曜日

最近の社長

「ブラジル 2」


昼食会場で隣の席になった大阪の塾生は、話してみると
なんと、私とは1か月違いの同い年。
人材派遣業で、翌日からはサンパウロにて営業活動をするとのこと。
名刺を見るに、裏面には営業所一覧が列記してあり一番下に「サンパウロ」。
日本企業がメキシコやブラジルに拠点を拡張するのに合わせてのこと。
凄い! ここで営業!
もちろん、ポルトガル語の通訳も手配済み。
それにしても凄い、
凄いとしか言えない自分は、全く凄くない。なんか、負けてる。
眼が違う。
「じゃ、また!」と握手して立ち去って行きました。
東京・大阪と違いますよ、サンパウロですよ、独りですよ!
わたしはまだまだ甘い。(京都帰ったらがんばろう・・)

2013年5月20日月曜日

最近の社長

「ブラジル 1」


盛和塾・ブラジルツアーで、5月6日から13日まで
サンパウロと、リオデジャネイロへ。
もちろん、稲盛和夫名誉会長(塾長)も終始滞在されました。
今週から4本分ブラジルねたでカバーさせていただけたらと思います。
飛行時間は関空・ドバイ間で10時間、トランジットしてサンパウロまで15時間。
京都からは待ち時間も入れると30時間ほどはかかります。

 サンパウロでは、盛和塾ブラジルの特に日系の方もブラジル国内から
遠い方は3,000キロ以上離れた州から車・電車・飛行機を乗り継いでこられてました。
国内で3,000キロですよ、日本ではあり得ません。キャパ違いです。
 例会では日系2世・3世・4世の様々な年齢の方の経営体験発表がありました。
特に父と子の大規模農場経営で意見の食い違い・考えの相違を乗り越え、
抱き合う姿には、会場のだれひとりと、涙なしにはいられませんでした。
日系の方々はブラジルで一旗揚げて、帰国するつもりでみなさん海を渡りました。
その証拠に、子供が3人寄ればの日本人学校を設けて、日本語を忘れないように教えていました。
もちろん、一旗揚げて故郷に帰る為。しかし、帰れなくなった理由は言うに及びません。
そこへ戦争、その後の日系人による「勝ち組」「負け組」の対立。
私たちの想像を絶する経験をされました。
そんなんに比べたら私の悩みなど、コーヒー豆みたいなもんです。
沖縄やその周辺の島人と同じくして、就学就職で里を離れるのは悲しいことです。
しかも、ブラジルです。帰れませんよ、すぐには・・・
日本人を誇りに思いました。

2013年5月13日月曜日

最近の社長

「留学生」


日経新聞に「ブラジルの理工系留学生・年1300人受け入れ」という見出し。(小さな記事)
日本政府は今秋からブラジルの優秀な学生の受け入れを毎年、東大・名古屋大・九州大・上智大などの
国公私立大で英語の講義体制があるところに要請。
外務省はブラジルに進出する日本企業にインターンシップも呼びかけ、
中南米市場への進出の橋渡しのできる人材の育成を目指す。
要約すると以上のような感じです。
英語の講義体制とは?
体制の整ってないところはピッチを上げて来ますよね・・
今後は当然ミャンマー、インド、その他の東南アジアは勿論のこと
南米・アフリカの他の国なども追随してくれば、どこの生き残り大学も英語か第三国語が不可欠に。
私たちの世代は日本語しかしゃべれない過渡期世代という扱いになり
老人と化した時には、正確な日本語を操れる若者は居なくなっているのではないでしょうか?
人口も減少の一途ですし大義名分のあるガイジンの受け入れをせざるを得ない。
そのように思います。

 先日、北海道のスキー場へ行った方が~
「オーストラリア・香港人ばかりで客は埋め尽くされ
子供のスキー教室のインストラクターまでガイジンで、
英語でもよろしければどうぞ・・!と言われました。」と・・・・。

2013年5月7日火曜日

最近の社長

「続・立ち喰い」


しばらくして、またその立ち喰い蕎麦屋へ。
きざみキツネそば290円也を注文。
30秒で「へい、おまっとさん。」
と、そこへ美しい30すぎの女性。
(うわ! ここでこのような方が食事されるのか・・!)
と思いきや、○○うどんお持ち帰りでお願いされました。
ナイロン袋にまず白い発砲容器に入ったうどん、
そのうえに、おにぎり。
そしてなぜか、女性に人気の箱入りのお菓子が・・・
(ん、女性用にお持ち帰りメニューがある・・・?)
どこの壁にも「ランチ+お菓子付」なんてありませんし、ないですよね。
ということは、常連さん。
その女性、いい笑顔でうけとってそそくさと帰られました。
渡した方の大将は少しニンマリ無言。
お、いいな・・・美しいひとは得ではあるけど、
商売の面白さも感じました!!!