2012年11月26日月曜日

最近の社長

「シンガポール」Ⅲ


 一週間の滞在はずっと同じホテルを拠点にしていました。
(引越ししなくていいので楽です)
私より7つ年上のS社長のことを後半では「アニキ」と呼んでおりました。
S社長も面白がって同調して乗ってくれてました。
アニキは日本に本社はあれど、アメリカ・中国・タイその他、かけまわり
仕事は携帯とPCで、大阪本社には一週間のうち平均2日しか居ないとのこと・・・・
 朝は6:30から毎朝同じ店でmorning。
私は6:30ジャストに行きますが、日本のようにぴったりにはOPENしません。
ムシャムシャ独りでやっていると、なにやら聞いたような声・・・でも英語。
でも耳覚えのある・・・でもそんな人いないし・・・みんな日本語しか出来ないはず・・・
そそくさと、皿を平らげて店をあとにしようとちらっとその方向に目をやると
あっ、アニキやん。
ええぇ~見知らぬ白人とずっとしゃべってはったんですか!!!
さすが、百単位の売上する社長・・・
ダジャレ大好きなアニキなのに・・・
参りました。私なんか独りでトランジィットも無理です。
尊敬!です。なんの取柄も無く恥ずかしく思えた発見でした。

2012年11月19日月曜日

最近の社長

「シンガポール」Ⅱ


 次に「みずほ銀行・シンガポール」へ・・・
5名の方々にプレゼンをいただきました。
が、60分間説明頂いたのは女性。たぶん、30代の方。
滑舌闊達、頭脳明晰という感じ。
あとの30分は質疑応答で1時間半はあっという間に終了。
 次に「セムコープ・インダストリーズ」へ・・・
この会社はシンガポール市場で上場しており、
工業団地や都市開発・船舶・石油掘削までこなしており三菱商事などと
事業提携したりもしている巨大な会社です。
な、なんとここでも私たちを工業団地に案内してくれたのは30代のジョセイ。Tちゃん。
ワタシ「Tちゃんはずっとこちらで?」
Tちゃん「はい。5歳のとき父の仕事で・・それ以来日本には帰ってません。っていうか行ってません。」
「じゃ、マレーシア人?」
「いいえ、籍は日本で、年金とかも・・・」
「うちの子供、将来セムコープ社ではたらかせてやってよぉ・・・」
「あ、今は外人ダメなんです。私の時は日本も良かったから・・・」
「ががぁ~ん、しゃあないな、また、時代背景が替わっていればいいかもね」
日本語以外こなせる人は尊敬してしまいます。
あ、そういえば、11月から来る(弊社入社)ジョセイは中国語の話せる都銀レディ。
どこまでやってくれるか楽しみです・・・
(つづく)

2012年11月12日月曜日

最近の社長

「シンガポール・マレーシア」Ⅰ


 視察旅行でシンガポールに・・・
男性経営者24名。30代から70代の方々でした。
一週間も昼夜を共にすれば歳の差も、地域も関係なく仲良くなります。
最初、取っ付きにくいなぁ・・・という感じの人も酒の席で話してみると
なんてことなく打ち解けます。
20名くらいがいいかもしれません。100名になると小グループに別れますし・・・
 まず、「ジェトロ」に行きました。
日本の経営者がシンガポールの人材は教育が優れていて、進出して間無しに5名雇われたとか・・・
しかし、数年もしないうちに全員さらに好条件の会社に転職してしまいましたとの事。
技術供与・日本的教育・マナーいろいろ教えられて、結局去っていくのです。
シンガポール人にとって日系企業はキャリアアップのための通過地点とのこと。
日系~欧米~地元みたいです。転職はあたりまえのようです。
 他にも日系企業がシンガポールへ進出しての失敗談を幾つか教えて頂きました。
日経産業新聞などに「シンガポールへ進出~云々~」という見出しを見ない日はありませんが、全部がすべて成功事例とは考えてはいけないようです。余儀無く撤退されている会社さんも当然あります。
キビシイ!
(つづく)

2012年11月5日月曜日

最近の社長

「続・米」


 LAの最後の日、稲盛名誉会長が残っている私たち16名一緒に
バンメシでもと仰せられ、ご一緒させていただきました。
ラフな服装でもよかったのですが、そうはいっても私には「帝」のような御方。
Tシャツにジャケットでは近寄りがたい。なぜなら、いつも会長は紺色の背広に
白のカッターがもっぱら多いのを再々目にしています。
そこで私も紺色のスーツで・・・店への道々、会長に近寄って
「会長、中村天風の本を読みましたが、何回か読もうと思っております。」(緊張)
「あ、あれね。あれはね、そういうところに身を置いていない人が読んでもな・・・
ま、でもがんばってな、うんうん・・・」
「はい。わかりました。ありがとうございます。がんばります。」
ちょっとだけお話させていただけて、感謝感激です。手に汗です。肩が張ってしまいます。
ほんとうに、私のようなのがご一緒させていただけて光栄のあまりでした。