2024年3月25日月曜日

最近の社長

 「イタリア経済・産業視察」④ 2024

Uni Credit 本社~

 

 

今日は、みんなで、「イータリー」という大きなスーパーマーケットに視察&買い物。

1時間後に、イータリーのエントランスで集合ということで、自由行動に放たれました!

わたしは、チーズやオリーブオイルなど買いたくないので、

さらっと、店内を見た後、バスを降りた時にチラッと見えた、

Uni Credit」の本社まで歩いて行けへんかなぁ・・

と思ったので、ひとりでとことこ携帯の地図を見ながら、

鋭角にとんがった本社を目指すことにしました。

1時間しかないので、25分してたどり着けなかったら、引き返そうと。

そうしますと、15分で着いちゃいました。

Uni Creditの本社やん!!

なんか、感激。首を80°ほど上に向けないと全貌が見えません。

金融業で儲かったらこんなんが建てられんにゃ・・

スーパーマーケットや寺院、神殿もいいですが、

近代建物の超カッコイイのは、違う意味で感激します。

1000年先には、建て替えられているだろうけど、ヒトの権力や富の象徴です。

100分の1のスケールでもいいから、建ててみたいです。






2024年3月18日月曜日

最近の社長

 「イタリア経済・産業視察」③ 2024

 

 

今日は、アグリジェント視察です。

シチリア最大の遺跡群があります。

そこでは、伝説のガイド・ヨウコさんが登場。

ずっと一緒に居ててくれているガイドの、のり子(50代)さんが

伝説のヨウコさんに会えて感激しています。

ヨウコさんは、シチリアに35年も居るそうです。

ピンク色のふわふわの帽子がシンボルマークです。

年齢不詳ですが、70は超えてられそうにお見受けしました。

可愛い声です。

おちゃめで、冗談も上手いし、みんなに大受けです。

わたしたちは、会社見学や寺院などどこへ行っても、

イヤホンガイドで、離れた場所でも説明が聞き取れます。

ヨウコさんの一語一句も聞こえます。

「あらぁ、いやだわ、わたくし、ごつごつした階段いやぁぁなの、

このまえ、こけちゃったのよ!どなたか、お手をかしてぇぇん!」と。

あまえてます。

大阪のI氏がこころよく、手を引き、よちよちと下り坂を行く様子はどっちもお年寄り。

神殿の柱ばかり見ること1時間。

その間、ヨウコさんはしゃべりっぱなしでした。

めちゃめちゃ、面白かったです。

最後、わかれぎわに、

「なにか、わたくしの至らないところございませんでしたか?

どんなことでもかまいませんから、おっしゃってくださいね!」と・・・

プロフェッショナルでした!!!






2024年3月11日月曜日

最近の社長

 「イタリア経済・産業視察」② 2024

 

 

翌日、ミラノからモデナという街へ。

ランボールギーニ博物館に行った足で、

「パガーニ・アウトモビリ」の工場内視察です。

パガーニは、一台当たり最低15000万円からです。

年間生産台数は、50台です。

たぶん、一台のお値段は想像を絶すると思います。

全部手作りだそうです。

エンジンだけは、メルセデスAMGから供給されています。

えげつないクルマです。

公道を走れるのが不思議なくらいです。

ここのモデナというところは、田園風景が広がっているところに

スーパーカーの工場がかたまっています。

近くのレストランにいったときにも、

ランボールギーニの社員証を首からぶら下げた人たちが、

ランチに来てシャンパンを飲んでましたが、昼から飲んでもいいんですかね???

クルマに興味のないヒトには、少々無駄な時間に感じるかもですが、

そういう工場もあって、長きに渡って採算も上がってて、成り立っている。

超富裕層相手にいい仕事かも知れませんね。




2024年3月4日月曜日

最近の社長

 「イタリア経済・産業視察」① 2024

 

 

212日から219日まで、オジさん×30名でイタリアへ行かせて貰いました。

プーチンのおかげで、遠回りして14時間近くかかってしまいました。

飛行機に搭乗するやいなや、ジャージに履き替えて、

一回目の食事でワインをがぶ飲みして、イッキ寝。

ミラノに到着後の翌日には、PROCOSさんという日本法人のミラノ支社を見学。

日本人のY氏は、コロナ禍の中、家族を日本へ帰国させるもご自身はミラノに居残る決断をされて、

現地のイタリア人社員たちも涙したという話や、

日本人とイタリア人が一つ屋根に仕事をする難しさ、

そして融合するに至るまでの過程など、いろいろ聞かせていただきました。

Y氏はわたしと年齢は変わらないのに、偉いひと。

外国でM&Aした会社を立て直して、日本を離れて17年にもなるそうです。

そりゃ、わたしにはむりな話です。

しかし、そういう人が居る。

見習えないけど、近い努力はしよう!

「負けてんな感」でその会社を後にしました・・・