2024年9月9日月曜日

最近の社長

 「生殺の柄」セイサイノエ

 

 

先日、説法を拝聴しました。

そのなかで、「生」をテーマにお話をされているなかで、

「生きていることを感じるのは、たとえば、釣り。

魚がかかったとき、あのビビビビィと、糸から竿、

そして自分の手へと躍動するあの感覚が“生”なんですよ。」と、

何気に聞いていたところ、ふと、過去に読んだことがある。

この魚の話。

その後、その本をぱらぱらと読み返すと、こうありました。

「水辺で魚釣りをするのは、のんきな楽しみごとではあるが、

それでもなお、魚を生かし殺す権力を持っている。」

~生かしも殺しもできる権力=生殺の柄

(柄は斧の柄)

このふたつの話はつながっていて、前者は魚踊るごとく生の躍動を感じます。

後者は、戦争と同じ。

権力者が、下々の命をも握っている。

そういうイメージがします。

昔の人が優れていたのは、寿命が短いことや、

今のように情報が充満していなかったからですかね?

道端の雑草も花をさかせますよね。

たとえば、人間みたいに、今日は暑いし花は閉じたままで、

光合成するも邪魔くさいから、葉もダランとしといたろう。

なんてことはなく、毎日毎日、目いっぱい開いて、葉もピンピンに広げています。

そういう自分も、今日はなんの進展もなく、なんとなく終わったなぁ・・と思う日があります。

生殺の柄とまではいかなくても、「ヤルヤラナイの柄」の柄は、自分で握ってますよね。

 

😓柄ッ~!